カテゴリーが雑記なのは、三国志「大戦」じゃなくて、ただ三国志の話題だから。
陸遜と孫策。一見、つながりがなさそうなこの二人。でも、実は陸遜が呉に仕えているのに大きな関わりが。
まずぶっちゃけると、この二人は
義理の親子です。「うそ!?」とか思うでしょうけど、本当ですよ。以下
Wikipwdia陸遜、
孫策の欄を参照に。
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元々、陸遜は陸家の本家筋ではなく、分家筋の人間でした。それが、陸遜の従祖父に当たる本家の陸康が盧江郡の太守を勤めていた際、当時はまだ袁術の配下だった孫策(正確には袁術より兵を借りて独立しようとしてた)に攻められることになり、陸康は幼い末子の陸績を陸遜に預け、陸績より陸遜の方が年長と言うことで一族の長にして呉郡に逃がしました。
結果、陸績は戦に破れ、翌年に病死、そして呉郡は独立した孫策が治めることになるんですが、陸氏と孫氏はこういった経緯から対立関係になってしまうんですが、陸遜は孫権と手打ちして幕下に加わることにし、孫権も孫策の娘を妻として上げたんだそうです。
んなわけで、実は陸遜と孫策は義理の親子の間柄なんですよ。実際、横山三国志なんかでも陸遜は孫権の親戚ってことになってますし。
実際、軍師として戦場に出てくるまでかなり遅く、関羽なんかにも若造扱いされてるので、陸遜には何かにつけ「若々しい」イメージがついて回ります。そうやって考えると、呉の人のイメージって、みんな基本的に若いんですよね(美周朗こと周瑜、若き小覇王孫策、19歳で国を継いだ孫権、超絶年の差カップルの孫尚香など)
別に若いのがダメなわけじゃないですが、私個人としては「他の国の人はみんな年行き過ぎてない?」て思えるんですが…www
ちなみに、孫権と陸遜は仲が悪かったとか何とか。三国志演義には書かれていないのですが、孫権の跡目争いが生じたとき、陸遜の意見を受け入れずに逆に問責状を送りつけて、陸遜は憤死したっていう二宮の変という事件があったそうですが、これは一部で「孫権が陸遜のことを嫌いだったから、意見を受け入れなかった」と言われているようです。
大戦であんなに愛らしい陸遜(馬鹿)のことを嫌う孫権なんて、嫌いだーっ!と思ったりしますが、それはそれ。実際、大戦の孫権と陸遜は相性良くないし、だけど陸遜は呉に献身的に仕えてたし。
結局、陸遜の努力は孫権にあまり通じなかった、てことなのかなぁ…ていうか、陸遜は周姫にまで手を出してた、なんて事実はありません(汗w
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